おはようございます!自燈剣道スポーツ少年団後援会の佐藤です。
この写真の風景をみて皆さんはどんなことを思い浮かべるでしょうか?
お寺の小僧さんの雑巾掛けを思い出す方、小学校の頃学校で雑巾掛けをしたことを思い出す方もいれば、日常ご自宅でやってるよ!という方もいるかもしれません。最近は、ルンバとブラーバが掃除機掛けと水拭きを勝手にやってくれるような便利な世の中になりましたが、自分で雑巾掛けをすると終わった後になんだか清々しい嬉しい気持ちになるのは私だけではないのではないでしょうか。
自燈でも剣道の稽古のはじまりと終わりに子供達みんなで雑巾掛けをしています。大変そうにみえるかもしれませんが、さすが子供達、最初の掛け声は「よーい、どん!」といつも競争しています。号令は日によって担当が代わりますが、たまにフェイントを掛けてズッコケたりとみているこちらも楽しませてくれます。どんなことも遊びにしてしまう子供達はすごいですね!
そんな雑巾掛けですが、ふと思ってミツカン水の文化センターのサイトを調べてみると、日本の文化として定着して来た背景に意外と歴史があることがわかりました。
日本人の掃除の習慣は、遡ろうと思うと縄文時代まで遡ってしまうのですが、雑巾掛けのルーツは、平安時代の『扇面(せんめん)法華経』という12世紀の装飾経に、棒のさきに布をつけてふく棒雑巾(ぼうぞうきん)で貴族邸を掃除する舎人の姿が描かれていることが最初の記録になるようです。
その後、鎌倉時代になると、もともとはインドで、一心に掃除をすることが悟りにつながるという思想が起こりました。その思想が中国に渡って、中国の寺院に掃除が習慣として根づき、それが天台宗の最澄や曹洞宗の道元によって、日本にもち込まれたことから仏教寺院において掃除が重要な意味をもつようになります。現在も福井県の曹洞宗大本山・永平寺では、「一掃除 二座禅 三看経」というほど、掃除が重視されているそうです。ただこの頃もまだ形式は棒雑巾だったようです。
室町時代後期になると書院造の建物の普及により浄巾と呼ばれる手持ちの布を使うようになり、江戸時代にかけてその書院造の建物が、一般の家庭にも普及し、掃除の文化が一般化する中、安価な木綿が出回るようになり、次第に雑巾と呼ばれるようになりました。
こうして江戸時代に浸透した掃除の習慣やその教訓的な意義は、そのまま近代へと受け継がれていき、近代の掃除のあり方を象徴する学校における掃除教育へと展開していくことになりました。そうして雑巾掛けは私たちの生活の一部として当たり前のように定着することになったというわけです。
私たちが何気なくやって来た雑巾掛け。意外と奥が深くて驚きですね!
以下、参考にしたミツカン 水の文化センターのサイトです。
ミツカン水の文化センター:
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